申立人のメッセージ

Dさん

私は、治療などは行っていませんが、子供の頃から性別に対する違和感があり、性同一性障害であると思います。

現在、両親と長年付き合っている彼女と共に住んでいます。

両親には、以前、一度だけ「私は性同一性障害者だと思う」とカミングアウトしたことがあります。
その時、両親からは「せっかく女性に生まれたのだから、女性として生きた方がいいのではないか」「女性としての幸せを見つけてほしい」と言われました。
私は「今まで、精一杯、努力してきた。。。自分らしく生きていきたい」と答えました。
それ以降、この件に関しては話すことは特にありませんでした。両親は、一緒に住んでいる彼女のことは、「娘の親友」もしくは、「子供が一人増えた」という認識で、この現状を受け入れてくれていると思います。
もしかしたら、カミングアウトしたことがあるので、それ以外の思いもあるかもしれませんが、核心に触れるようなことは、お互いに話していません。

私は、彼女と恋人として付き合うというよりは、所謂、「結婚」をして過ごしているという認識でいます。
このように寝食を共にする家族として過ごしていても、法律上、彼女は他人です。周囲の認識もそうです。
一緒に暮らして以来、「なんで他人と一緒にくらしているのか」ということを数えきれないくらい聞かれたと思います。
また、私と彼女が恋人であることを知らず、独り身だと思っている人からは「なんで結婚しないの?」とか「いい男を紹介してあげるよ」と、これもまた、数えきれないくらい言われました。

一緒に暮らす中、私たちは多くの嘘をつきながら生活をしなければなりません。
お互い、一生を共に過ごしたい、また互いの家族を大切にしたいと考えているのに、なぜ、自分たちは結婚ができないんだろう。
なぜ、こうやって、嘘をつかないといけないのだろう。。。と、行き場の無い悲しみや憤りを感じています。

性同一性障害、自分がそうだと、それを受けいれるまで、色々な事に迷いながら青年期を過ごしました。
過去、付き合った人とは「あなたとは結婚できない。将来が見えないから怖い。」等という理由で別れたことがあります。
戸籍の訂正ができると知った時は「私も結婚できるんだ!」と日の光を感じた気持ちになりました。
しかし、その要件は厳しく、私はそれを選択することなく生きています。
なぜ選択しなかったかというと。。。私は、今、会社の経営をしています。ゼロからスタートして、大切に業務を重ね、少しずつ体制を整えてきました。取引先に対して確実な仕事をすることや、従業員に対する責任もあります。多忙な生活の中、治療をした場合の肉体的、経済的、時間的なデメリットを考えると、自分の思いだけで、治療へ踏み切ることはできません。

今回、大きな地震が熊本であり、特に家族について考えました。
もし、被災した時、彼女と私が離れていたら、どうなったのか。
実は、過去、彼女が交通事故にあった時、すぐに現場に駆けつけたのですが、警察から彼女との関係を聞かれ、恋人・家族ということを即答できず「友達です」と答えると、「家族でないなら、あなたは関係無い。話に加わる必要は無い。」という対応をされた経験があります。

もし、震災の時、彼女が亡くなってしまったり、意識がなかったりする状態なら、法律上、他人である私に連絡はこなかったでしょう。
愛する人が、突然、目の前から消えてしまうかもしれないという、この現実には、恐怖さえ感じます。

私は、特別な事を望んでいるわけでは無く、一般の異性愛者の方々が結婚するのと同じように、私も結婚して家族やパートナーを大事にする人生を送りたい。ただ、それだけを望んでいます。

Dさん

2016年8月29日掲載

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