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記者会見 申立人ケイさん

日本弁護士連合会が 、「同性の当事者による婚姻に関する意見書」を取りまとめ、7月24日付けで法務大臣、内閣総理大臣、衆議院議長および参議院議長宛てに提出したことを受け、記者会見を行いました。

会見には、4年前の申立時の会見に出席された申立人4名全員が出席してくださいました。

そのうちのお一人、ケイさん の言葉です。

都内で同性パートナーと暮らす40代会社員です。人権救済申立てを行った日から4年が過ぎ、LGBTを取り巻く空気が変化したことを肌で感じています。

今までいないことになっていた人たちの存在の可視化進んでいる中、自身のセクシャリティーを隠して生活している「クローゼット」である私とパートナーは、いまだ家族、職場、友人などには私たちの関係をオープンにできずにいます。

そんな中、今年の6月に交際20年という節目をひっそりと迎えました。

私たちは20代で出会い、病める時も、健やかなる時も、貧しき時も、喜びの時も、悲しみの時も、喧嘩しながらも支え合って生きてきました。

もはや、恋人と表現するのも違和感があり「家族」や「伴侶」という言葉以外に私たちの関係を表現できる言葉が見つけられません。

私名義の持ち家に暮らし、不動産以外の財産は事実上共有しており、共働きで生活費を出し合って暮らす「夫婦」と変わらない生活を送っていますが、公的には自分たちの関係を証明できるものがないため、ただの「同居人」ということになります。

私達の中には20年間で、はぐくまれた関係性がありますが、どれほど年月を重ねたとしても、交際2カ月で電撃結婚する異性カップルよりも社会的には関係性が弱い「他人」でしかありません。

誰かに認めてもらわなくとも「お互いの気持ちさえあればなんとなる」と、言い聞かせてやってきましたが、人生の折り返しの年代になり、身体の不具合が見つかったり、お互いの親の介護やその他様々な現実問題が差し迫ってきて、愛や気持ちだけでは乗り越えられないことが沢山あることを痛感しています。

親の介護ひとつとっても、手続き上のことなど男女の夫婦なら行えるちょっとしたサポートも、義理の親との法的な繋がりがないことで、できることが限られているため機会損失が多く、それこそ「生産性」を下げていることの方が多いように感じています。

「伝統的家族観」や、男だから、女だから、長男だから、障害があるから…という、その時代の環境の中で作られた「〇〇だから」という価値観と風潮に囲まれ「そういうものだから」という言葉に縛られて生きてきました。多様な生き方が尊重されるここ東京においても、類は友を呼ぶのか私の周りでセクシャリティをオープンに生活している人は殆どいません。

大都市以外のエリアに住む友人は、偏見が怖くてパートナーと一緒に住むことすら難しいと言っています。

TVや映画にLGBTが登場するだけで、自分も疑われるのではないかとビクビクしている友人もいます。かつての私もそうでした。

仮に同性婚ができるようになったとしてもクローゼットには関係のないことだと思いこんでいました。

でも、法のもとでの平等が実現すれば、特別だった存在が特別ではなくなり、やがて当たり前の存在になっていくと信じて、私は申立てを行い、勇気を出してここにきました。

当事者として声をあげない限り、びくびくした同性愛者への「忖度」なんてないと思ったからです。

私は好きになる人が同性という1点だけで多くの不本意な嘘を重ねた人生を歩んでしまいました。

しかし、時間は有限だと40代になって実感しました。

だから、これからの世代には、大切な人や自分のことを隠すために力を注ぐのではなく、大切な人との毎日や自身の人生を謳歌することに時間を使ってほしいと心から思うし、また自分もそうありたいと願います。

私たちは長すぎた春どころか、結婚はできないまま既に20年が過ぎてしまったので、これから同性婚が可能になり、結婚をしたとしても金婚式を迎えられるかどうかはわかりませんが、せめて銀婚式は行えたらというささやかな希望をもっています。

日弁連の措置を受け、特にこれからの世代のために、国には、一刻も早く同性婚を可能にして欲しいです。