日本弁護士連合会が 、「同性の当事者による婚姻に関する意見書」を取りまとめ、7月24日付けで法務大臣、内閣総理大臣、衆議院議長および参議院議長宛てに提出したことを受け、記者会見を行いました。
会見には、4年前の申立時の会見に出席された申立人4名全員が出席してくださいました。
そのうちのお一人、牧村朝子さん の言葉です。
1896年。明治29年。新潟で、吉屋信子(よしや・のぶこ)さんという方が生まれました。女性です。子どもの頃から作家を目指していましたが、両親は猛反対。「女なのだから嫁入りしなさい」と、望まない結婚を強いられました。それでも信子は負けずに書き続け、やがて売れっ子作家になりました。
そんな信子と一緒に生きたのが、千代(ちよ)という女性です。ふたりは生涯を共にしましたが、同性同士で、結婚制度は使えませんでした。
1911年。明治44年。新潟で、二人の女性が亡くなりました。曾禰定子(そね・さだこ)さんと、岡村玉江(おかむら・たまえ)さん。二十歳でした。二人は女学校時代から強い絆で結ばれていましたが、卒業すると、定子の父親が二人を別れさせようとしました。「女なのだから嫁入りしなさい」と。7月22日、二人は東京から新潟行きの電車に乗り、その4日後、海へ身を投げました。二人は自分たちの体を、帯でかたく結びつけていたと、1911年7月31日、読売新聞が報じています。
2019年。令和元年。結婚制度を同性同士にもひらこうという声が高まる中、あなたは何を思うでしょうか。日本がおかしくなる、と思う方もおられるでしょう。けれど日本列島には、静かに、それでいて確実に生きてきたのです。望まない結婚を強いられ、選べない道を思い、それでも、自分の道を貫いた無数の人々が。
わたしは、忘れません。信子を。千代を。定子を。玉江を。この会見を聞きながら、「ああ、もっと遅く生まれていたらわたしもあの人と結婚して生きられたのかもしれない」と思う、あなたのことを。社会制度上選べなかった道を思い、それでも選んできた人生を思っていらっしゃる、あなたのことを。誰にも打ち明けたことはないけれど、自分だけはちゃんと知っている、言葉にならない想いを抱いて生きていらっしゃる、あなたのことを。
身分差結婚。国際結婚。遺伝病や先天障害と生きる人の結婚。恋愛結婚。これらは全て、かつて法律や掟が禁じた結婚の形です。しかし日本列島の人々は、常に考え直し、話し合い、間違いながらも反省して、不可能を可能にしてきました。その流れの先に、今また、結婚制度を開こうとしているのです。制度のために人間が存在するのではない。人間のために、制度を、つくるのです。