日本では、LGBT当事者やその支援者たちの長年にわたる活動が実を結び、近年、セクシャルマイノリティに関する人権問題がようやく社会的にも認知されるようになってきました。とはいえ、この問題が自分にも関係のあるトピックだと考えている人は、まだまだ多くはありません。Ipsos(イプソス)が2013年6月に公表した調査結果によると、「職場の同僚や身近な友人にLGBT当事者がいるかどうか」という質問に対して、アメリカでは55%の人が「Yes」と答えたそうです。日本ではどうか。同じ質問に対して、日本で「Yes」と答えた人の割合はたったの5%でした。外資系の事務所や企業では少し状況が違うのかもしれませんが、実際、多くの人が「LGBTはテレビの中の世界の話」と考えているようです。
電通ダイバーシティ・ラボが2015年4月に行った調査では、日本におけるLGBT層は全人口の7.6%にのぼるとの調査結果が報告されています。日本で最も多い名字は「佐藤」さんだとされていますが、その「佐藤」さんですら、日本の人口の2%にも届きません。職場の同僚や身近な友人に「佐藤」さんという名字の人がいるのであれば、その数倍のLGBT当事者が身近にいるはずなのです。そうであるにもかかわらず、自分の身近にLGBT当事者がいないと思うのはなせか。それは、日本は当事者が自由にカムアウトできるような社会ではないからです。
戦前の日本では、結婚は個人同士の結合ではなく、家同士の結合だと考えられていました。第二次世界大戦直後の1946年9月、憲法改正を議論していた貴族院の特別委員会では、婚姻に関する個人の尊厳と男女の本質的平等を定めた憲法24条の規定に対して、次のような意見が出されました。
「この24条においては、どうも今までの日本の社会状態をこれからこれがひっくり返す非常な力のある規定のように思われるので、それが心配でならないのであります。」「日本は長い間、家ということを細胞として、家が一つの細胞である、これが集って一つの体をなしているものと私は思う」「夫婦関係だけを中心とする、団結の一つの中心として、何千年の歴史に反する制度を設けるというようなことがもしありましては、私はこれは非常に心配すべきことだと思うのであります。」
それから70年経った現在、結婚には戸主の同意が不可欠だとか、戦前の家制度を復活させようなどと考えている人はいません。結婚の意味は時代に応じて変化するものだということを、我々日本人は既に経験しているのです。
未来の日本では、同性間での結婚を認めるのは当たり前のことになっていると思います。すべての人、すべての愛が平等に取り扱われる社会が来るよう、我々は一致団結してこの問題に取り組んでいく必要があります。
2016年3月31日掲載