弁護団の紹介

上杉 崇子 弁護士

 私は、この件は本当はとってもシンプルなものだと思っています。

同性を恋愛対象とするのは変態でも異常でもない、異性を愛することと同じ愛のかたち。ここは既にクリア済みです(ここは言い切るのが肝要)。日本では、同性と恋愛すること、同性どうしでカップルとして生活をすることは禁止されていません。そうすると、同性愛は自由で、同性愛者は十分自由を享受していると思われるかもしれません。

一方、同性どうしの結婚は認められていません。その理由は実は今まで日本では真剣に考えられてきませんでした。若干言われている理由の中に説得力のある理由は見当たらなくて、要するに、これまで結婚制度は男女カップル専用のものだったからこれからもそうなんです,ということらしいです。

まとめると、いまの日本の現状は「同性を愛することは自由です。でも結婚はできません。そこは我慢してください。」ということのようです。

でも、それってなにかおかしくないですか?

結婚は、カップルのひとつの幸せのかたちであることは間違いありません。多くの男女カップルが結婚を望み・望まれ、祝福されながら晴れ晴れしく結婚します。法的にも社会的にもいろいろなメリットが付いてくるのは、社会的にも祝福・歓迎されていることの表れでしょう。恋愛=カップル=結婚、というパッケージは,それを求める人にとって、幸福のためのとても大切な自由になっているのです。

それなのに、異性を愛する人は結婚ができて、同性を愛する人は結婚ができません。

最初に戻って、同性愛と異性愛は「愛」として同等なのに,どうして同性を愛する人は望んでも結婚できないのか・・・、それって結局,異性愛を「普通」、同性愛を「普通じゃない」と扱っていることになるのではないか・・・。もやもやっとした偏見の空気は相変わらずはびこっていって、それがいつまでも放置・許容されているんじゃないか・・・。

この「同じなのに!」「どうして?」「おかしいんじゃない?」というシンプルな気持ちを、もっともっと大切にしていいはずです。

当たり前だとされている社会の決まりが、特定の人たちの大切な自由や尊厳を害していることは歴史上いくつもありました。たとえば、日本ではつい70年前まで女性には選挙権がありませんでした(!)。その当時の多数派や力を持っている人たちによる決まりの中には、残念ながら少数派の人たちの幸せに配慮していないものがあるのは現実です。でも、そのような理不尽を、私たちは一つ一つ克服してきているのも事実です。

そのためには、勇気をもって行動を始める必要があります。そろそろ日本でも、同性婚を求め、声を上げ、行動を始めるときです。

私たちが求めることは、男女カップルとまったく同じように、愛し合う女と女、愛し合う男と男も結婚したい、それだけです。

結婚という(それを求める人にとって)大切な自由を、女性どうし、男性どうしにも広げて欲しい、ということだけなのです。

「同じ」ということ(平等ともいいます)、その大切な価値をもう一つかたちにするために、いっしょに前に進んで行きましょう。

2015年6月6日掲載

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